湯気
小学5年生のころ、算数の出来があまりにも悪かったわたしは商店街の中の小さな個人塾に通うことになった。
そこは室長がひとりいるだけの本当に小さな塾で、誰かと時間がかぶらなければ1対1で、時間がかち合った子がいればパーテーションで区切った2人の間を室長が行き来して教えていた。
わたしは、できの悪い数学のついでに中学で習う英語も先取りで教えてもらうため、週に2回、タバコの臭いのこもるぼろいビルの一室に通っていた。
職場である教室でタバコを吸うような人だったが、決して生徒の前で吸うことはなかったし、生徒の親からの信頼もあつい(そもそもわたしが通ったきっかけも友人母からの口コミだった)、教育に真面目な先生だったと思う。
室長は、休みもないし日に当たらないからいつも真っ白で、髭が青くて、ださくて重そうなメガネに夏も冬も同じ青のチェックのネルシャツ。
タバコの匂いがしてなんか気怠そうだけど、問題が解けなくても絶対に怒らないし、じっくり話を聞いてくれる。生徒にとって、学校の先生よりもよっぽど慕わしい大人に見えたんだと思う。
室長は、本当に生徒から慕われている先生だった。小学2年生のときに、あまりに担任の先生に懐きすぎて「この子は家で虐待に遭っているのではないか」と疑いをかけられた(別にそんなことはなかった)わたしは言わずもがな、中学2年生のはずなのに髪の毛が真っ赤でいつも明らかに学校指定ではないジャージを着た女の子(今思えば、不登校だったのかもしれない)なんかも、本当にずっと先生にまとわりついていた。
まあ、そこそこの規模のベッドタウンで、まわりに有名な集団塾なんかもたくさんある中で、わざわざこんな小さな個別塾に通っているような子は何かしら事情があってもおかしくはないんだろうけど。
同じクラスで塾に通っている子は歯を食いしばって中学受験に立ち向かっているような集団塾に通う子がほとんどで、わたしのように(きはじってどれが上……?)となるような子が塾に通うケースは逆にめずらしかったので、その塾にも小学生で通っている子はほとんどおらず、中学生と比べて早く学校が終わるわたしはほぼ毎回マンツーマンで授業を受けていた。
そのうち、あまりにも室長を慕いすぎたわたしは、早く塾に行くようになった。大体教室には室長しかいなくて、立ち入り禁止の室長の部屋(教室とのれんで区切ってあるだけの空間だった)に、立ちはだかる室長をぐいぐい押しのけて侵入する遊びがわたしの中で流行った。
その上わざと宿題をやってこなかったり、授業中に寝たふりをして、室長の気を引こうとするようになった。室長は絶対に怒らずに、難しくてわからなかったのだろうと宿題の解説に授業1回分を費やしたり、起きろ〜と揺さぶったりした。
そんな状態が何ヶ月か続くうちに6年生になり、ある日初めて親への連絡帳に「授業中に居眠りをします」と書かれた。親はわたしに事情を聞いたけど、まさか先生にかまってほしくて寝ているなんて言えず、そんなことなら無駄だからとわたしは塾をやめることになった。
全然わからなかった算数はクラスの中でもちょっとばかりできるほうになっていたし、英語はもう中1の範囲が終わっていた。
先生は「これからも勉強頑張れよ」とだけ言って、それでさようならだった。
でも今考えると、先生はわたしを傷つけてしまう前に、わざとやめさせたのだと思う。
わたしは小学生にしては身長も高く、発育がよかった(「小学生にしてはある」方だった胸はそこからまったく成長せず、25になった。残念だ)。
そんな生徒に、週に2回、体を押し付ける遊びをされていた先生はどんな気持ちだったんだろう。
北斗の拳のコンビニコミックと灰皿が置かれただけの部屋に入られて困ることなんてなかったはずなのに、なんで毎回室長は体をはって阻止してきたのか、今なら少し、わかる気がする。
当時のわたしは室長のことがだいすきだったし、それは今も同じで、気持ち悪いとか、嫌な思い出だという感情はない。
そのことにとても感謝している。
わたしが去ったあと、どうやら商店街のはじっこから小さな駅の横に移転したみたいだが、まだやっているかはわからない。しつちょ〜はたぶんもう、40代。
ベビーシッターのニュースを見て、いつか忘れてもいいようにしたためただけの、遠い記憶。