桃栗3年セフレ5年

　「ねえ、結婚しない？」

　どこにでもある駅近イタリアンバルで1杯590円(税込)の赤ワインのグラスを傾けながらそうのたまったのは、わたしが5年の歳月を捧げてきた、セフレその人であった。

　深夜に呼ばれては人のまばらな終電で新宿のラブホに駆けつけ、「今日急に午後休になった。デートしたいな」と連絡が来て慌ててZARAに駆け込んで全身買った瞬間「やっぱりだめになっちゃった」と一方的に連絡を打ち切られ。彼氏がいた時期がなくもなかったけど、唐突にくる不定期連絡は5年間わたしの心音を常にbpm200に跳ね上がらせた。

　「えーと、」一向に目を合わせてこないこうくんの表情を確かめる勇気はこちらにもない。でも沈黙に耐えられる気もしなくて、とりあえず発声してみた。喉は問題なし、問題なのは脳内処理だ。しかし。

　「知り合ってからもう何年経ったっけ？俺たち、うまくやっていける気がするんだけど」

　同じく沈黙に耐えられずに何気なさを装ったこうくんのこの言葉を、無視できるはずはなかった。「あのね、」

　「5年を溶かしたのは別にいいよ。こっちから付き合ってほしいとも言わなかったし、わたしが選んだことだしね。でも、この後に及んで戸籍まで都合よく捧げろって？」ふざけんなよ、はタイミングよく（店員さん的にはすこぶる悪く）運ばれてきたスパークリングワインでどうにか流し込んだ。しゅわしゅわ弾ける泡を飲み込んだ代わりに、わたしの感情が沸騰してしまいそうだ。

　「今までどれだけせがんでもキスしてくれたことないよね？あれって、都合よく呼び出せるけど見た目は好みじゃないし愛情わかないからセックスはできるけどキスは無理だな〜〜ってことだよね？わかるよ〜〜わたしほかにもセフレいたけどタイプじゃないとキスってできないよね。でもいくらわたしがわりにきちんと働いてて手も金もかからなそうだからってキスできない相手と結婚できんの？わたしと知り合ったの、誰もが認めるヤリモクアプリじゃん？？？前に医学部めざしてたって話してたよね、あれって慶應でしょ？年間400万近くかかる学費をぽーんと出せるようなお父様お母様にわたしのことなんて説明するんだろうね。「何も言わなくてもセックスの時乳首ご奉仕してくれる女だよ」って？？「あらーいい彼女捕まえたわねー」って歓迎してくれると思う？つかそもそも彼女だったことねーし。いつも飲みながらずーっと取引先の社長にいいご飯おごってもらった話とかしてるけど、わたしの言ったことは何一つ覚えてないよね。「デートに何着てきたらうれしい？」って聞くから「キレイめのシャツとか？」ってショートくらい守備範囲広めの回答したにもかかわらず次会う時首周りてろってろのTシャツで来たのにはびっくりしたわー。あと飲み屋でトイレ行く時もスマホは絶対持ってくし、おすすめの動画の話になっても絶対わたしのスマホで検索させるよね？身辺探られたくなさすぎワロタwww 別にお前のYouTubeの検索履歴なんて興味ねーよwww 今日もそうだけど、前は事前に予約してくれた人気のビストロとかレストランに行ってたのに、最近は金額のわりに内装と料理の見た目はいいけど座席狭くてトイレ遠いイタリアンバルにしか行かないよね。今日来る前に食べログで検索したけど予算1人3000円で「コスパ」とか「駅近」とかそんなコメントばっかだったよ。そんなに金かけるの惜しくなった？そもそも最近わたしの家にしか来ないから外で会うのが久しぶりだよね。去年の7月に金欠って言うからわたしがラブホ代全額出してからなぜか割り勘になって、さらに今年の2月にひとり暮らし始めたら家にしか来なくなって。その割にこうくんちは最寄駅すら教えてくれないもんね。久しぶりに呼び出されたと思ったらこれですか、へー。てかわたし、」

　ここで息も思考回路も止まってふらふらの頭で絞り出す。

　「あなたの本名もしらない……」

　こうくん（仮名）はノンストップで彼への恨みつらみを投げつけ続けるわたしを、テレビから本当に貞子が出てきたかのような目でただ見つめていた。

　「わたし、今までたくさんの男の子を弄んできたから、それが自分に返ってきたんだと思った。クソみたいな対応から隠してるあなたの気持ちが伝わってきたし、もし23歳の誕生日に神様がくれたプレゼントだとしたら、なんて意地が悪いんだろうって神社とか寺とか教会を見るたびに呪ってた。でもこれ以上は無理です。さようなら」

　テーブルにぴったり3000円を叩きつけて、踵を返す。そういえば今日履いている靴は、前に慌ててZARAで買ったやつだった。しばらくはZARAを見るたびに呪ってしまうかもしれないけど、とりあえず明日朝イチでこの靴を捨てて、今までの非礼を詫びつつ神様にお願いしに行こう。もうプレゼントはいらないので、いい審美眼をください。