それわた

それがわたしにとってなんだというのでしょう、な雲吐き女のつれづれ

たましいのいろは うつりにけりな いたづらに

一目惚れってやつをしたことがあるかもしれない。1つ前の彼氏だったひとだ。大学生になりたてのわたしは、先輩に連れられて入った薄暗い中華屋で1つ年上の彼に挨拶をしながら、「きっとわたし、このひとをすきになる」と人生で初めてひらめくような天啓を得たのだ。

実際、わたしは彼を推しとはばからずに公言し、サークル内での外堀(内なのか外なのか)を埋めに埋めまくり、最終的には酒に乗じた友人の「せんぱァい!いつあの子と付き合ってくれんすかぁ!」という詰めによってお付き合いを開始するに至った。これと決めたら外野も巻き込んで押しに推す恋愛ができるところはわたしのいいところだ。

わたしは彼の見た目がすきだったんだと思う。すっきりとした二重、小さくまとまった輪郭、冷淡さすらうかがわせる薄いくちびる。「顔が好き」と面と向かって伝えたことがあったか定かではないが、自分の内面にも外見にも自信がありそうでなかった彼がそれを知っていただろうことは容易に想像できる。わたしから言い出してすんなりと別れるまでに、わたしも気持ちもずいぶん蔑ろにされたと思うから。

見た目は、人の「好き」の何パーセントなんだろう。100の人もいるだろうし、まったく気にしないという人もいるだろう。わたしはやや後者寄りだと思っているが、それを少し前に両想いだった方に話して気まずい空気が流れてからは人前で言わないと決めている。

自分に自信がない人間が、「外見が好き」と言われたら。内面が好きと言われるよりも、絶対的で定数的で、すごくわかりやすい。躁鬱のような感情の乱高下も関係ないなんて、なんとありがたいことだろう。「どうせあなたが愛しているのはわたしの顔なんでしょ!」とか人生で一回くらい言ってみたいよね。

 

恋人が、どこかを見ているわたしのことを知らず見つめている瞬間がある。だいたいはそれに気づいても知らんぷりするんだけど、3回に1回くらい、耐え切れずに「なに」と聞くと、「んーん、見てただけ」と返ってくる。「かわいいから見ちゃう」んだって、なにそれすごいことだね。すごすぎて泣いちゃいそうになる。

起きたても、手をつないで歩いてるときも、何かを食べているとき、ふと目が合った瞬間、合っていない時でさえも、「かわいいね」と頭をなでられる日々をすごしていると、失いがたくて、ついこの間手に入れたはずなのに、それについて深く考えると正気でいられなくなりそうになる。

わたしの首に顔をうずめながら「好きだよ」とつぶやく彼に同じ言葉を返してあげられないわたしは、ひょっとするとあなたが思うよりもあなたのことを大切に思っているのかも。そう伝えられるわけもなく、うつむいて抱きしめることしかできない。「失いがたい」という感情がなくなることはなく、薄れてほしいわけでもない。ただ、あなたのくれる安心と同じものを返してあげたくて、それができない自分が苦しい。

大人になっても、「好き」は送受信の度に削られて、手元に残るのはわずかだ。それがわかっていても、わかっているからこそ届けようとしてしまうのが「好き」なんだよな。一方通行でごめん、少し待っててね。