それわた

それがわたしにとってなんだというのでしょう、な雲吐き女のつれづれ

母について、大人になって思うこと

 わたしの母は、LEEとかリンネル系のひとです。(関係ないけど、なんで女性のことを語るときって女性誌を挙げると伝わりやすいんだろうか、ファッションだけじゃなくぼんやりと全体的に伝わるよね)質のいいリネンのブラウスとかを着ている。わたしもきっと、これの下位互換になるんだろうなってぼんやりと思っている。

 昔から、わたしは母のことを「よくできた人間だ」と思っていました。わたしの母は友人の母たちみたいに、テストで悪い点を取っても3時間正座で説教したりはしないし、帰りが遅くなってもペットボトルを投げつけるような喧嘩にはならない。料理は上手だし、裁縫もできるし、父とは本当に仲がいい。そんな母に育てられたわたしは、幸福だと思っていました。

 大学生になって、わたしは「自己肯定感」について考えるようになりました。どうやらわたしには、それが欠如しているようでした。(まあこんなところでつらつら文章書いてるような女が自己肯定とか、笑っちゃうけどさ)友人に何か褒められても「どうせ、社交辞令だろ」とか「陰で笑ってるんだろ」とか、そういうことを真っ先に考えるわたしのことを初めてわたしは、かなしいことなのだと気づきました。「彼氏ができたら治るよ」と言われていましたが、拍車がかかるだけでした。(これはまたたぶん書きます)

 そんなとき、トイアンナさんの『恋愛障害』を読んで「わたしの自己肯定感のなさは母から来ているのだ」とわかりました。昔からどんくさいわたしに、ああしなさいこうしなさいと言ってきたこと。幼いころ髪の毛を伸ばしたかったのに「ショートが似合うから」と聞きもせずにベリーショートにさせられていたこと。わたしが選んだ洋服はださいと切り捨てられたこと。そういうことが積み重なってわたしは「親の顔色を窺う子」になってしまったこと。

  母のことは恨んでいませんが、わたしの人生がおかしくなってしまったことは変わりません。自分の子には「自己肯定」ができる子に育ってほしい。その前にわたしが自己肯定できなさすぎて結婚できるかどうかが怪しいけど。